なんだか脳が覚醒しているような気がする…。というか、まったく眠れん。晩酌をし、寝しなにGABAチョコを食べたのに横になっても頭はクリアなまま。連想が連想を生み、思考の潮流は留まることを知らない。これは「明日の仕事はどうなってもいいからさっさとサークル誌の原稿を書け」というお告げであろう。やるぞ! そう叫んで机に向かった翌朝、倒れ伏して冷たくなっている姿が発見された。遺されたテキストファイルには「『ゆるキャン△』のありそうな同人誌→ゆるマン▼」としか書かれていなかったという。
短編集『世界はゴ冗談』(筒井康隆)読了。筒井作品には昔っから作者自身が登場することが少なくないが、最近書かれたものに出てくる作者は当然ながら80越えの枯れた老齢なわけで、それを悪いというわけではないが、なんだか30年くらい前の「作者」を読み返したくなってしまう。
巻頭「ペニスに命中」はボケ老人の視点で進むある日の騒動記。この作者を戯画化したような主人公、見た目はちゃんとしていて教養ある会話もでき、時に正気に返ってまともな対応をしたりもするが、根っこは完全にイカれているのでタチが悪い。たまに自らの記憶が飛ぶことを「メタ的な省略法」だと思い込んでいたりする。
「不在」は震災がきっかけで2つの世界が一時的に融合、喪失による哀しみを複数の視点から描く。「教授の戦利品」は蛇を愛する変わり者の教授のお話。オチらしいオチは無いが楽しい。「アニメ的リアリズム」はすべてがカートゥーン的な表現になってしまう世界に迷い込んだ男のラリラリ一夜。「小説に関する夢十一夜」はその名の通りの夢日記。「三字熟語の奇」はただひたすら、三字熟語が延々書かれているだけという珍作。それぞれの熟語を追っていくと作者がどう連想をしているのかなんとなく分かるようになっている。作品の解釈は読み手次第というが、ここまで読者にブン投げている小説(?)もそうはあるまい。
表題作「世界はゴ冗談」はショートショート3作の詰め合わせ。太陽の黒点の影響で磁場が狂い、すべての通信機器が使用不可能になった世界で、実にピンポイントな破滅への序曲が(1話目)。王位を継ぐことになったとある王子と叔父の奇妙なやりとり、驚愕のラスト一文(2話目)。音声案内の女性につい声を荒げてしまった男に、音声案内が牙をむく。カーナビ、風呂の湯沸かし器、家電、セコム、あらゆるデタラメな音声案内が男を追い詰めていく…(3話目)。
「奔馬菌」は小説の途中で「福島の原発事故のせいでもうこんなのは書いていられない」作者がボヤき始める、いわゆる「メタ」のお手本みたいな内容だが、ラストの寂寥感には茫然とする。最終回かと思うほど。「メタパラの七・五人」はメタフィクションからパラフィクション…つまり「作者の存在」を知らせるものから「読者の存在」を表面化させる手法を用いた実験小説、のはずである。これに関しては「文藝別冊 総特集筒井康隆」に収録されている佐々木敦の評論が助けになる。ラスト「附・ウクライナ幻想」は『イリヤ・ムウロメツ』に関する想い出等が書かれたエッセイ。
むろん、作者の往年の短編集と比べれば文体やノリに違いはあるものの、バラエティに富みつつ新鮮な読書体験を提供してくれる大安心の1冊。「明らかに老いぼれてるけど無理に褒めるところを探さないと…」みたいなハメにならなくてよかった。