11月は労働したり、文学フリマの原稿を書いたり、ポケモンしたり、大洗に行ったりしてるうちにすぐ終わってしまった。ブログも気が向いたら書くか~と思いつつダラダラと過ごしていた先日、夢枕に中曽根元首相が現れ「墓まで持っていくつもりの真実だったが、今こそ君に教えよう」「ロンのことは頼んだ」「黒人は知的水準が低い」等のメッセージを託してくださったため発奮、拙文を通じてこの世の真の姿を皆に伝えるべく、こうしてバリバリと書き連ねているわけである。あれは本当に中曽根氏だったのかという疑問はあるが、「まあしょの~」「貧乏人は米を食え」「感動した!」「噛まない?(AIBOを見て)」等の総理ジョークを連発していたので本人だと思う。それか誇大妄想狂のすごい下級霊。
映画の日なので『ドクター・スリープ』を観てきまんた。
スティーヴン・キング『シャイニング』の続編であり、ホラー映画専門のジャンル監督、マイク・フラガナンが脚本とともに手掛けている。キューブリックが監督した映画『シャイニング』は今なおその“輝き”が褪せないまごうことなきカルト傑作だが、キング本人がこの映画化を気に入っていなかったことは映画マニア・ホラーマニアの諸氏がご存知の通り。
「『スタンド・バイ・ミー』『ショーシャンクの空に』と言った非ホラーを除けば、キング原作の映画にアタリ無し」と言うのは、ある時期までは世界中の映画ファンの共通認識であった。『シャイニング』と言う快作を無視してまでそう言われ続けていたのは、この「原作者の逆お墨付き」が影響していた可能性もなくはないと思う。いや。そうでもないか? 『ペット・セマタリー』とか『クリープショー』とか、ホラーでもわりと面白いのはじゅうぶんあったしな~。もちろん現在は『ミスト』『IT/“それ”が見えたら、終わり』の大ヒットによって、「キングホラー=ズッコケ」の数式は完全に過去のものとなった。
で、映画『ドクター・スリープ』。原作小説版『ドクター・スリープ』は、当然ながらキューブリック版『シャイニング』の設定はガン無視で書かれているのだが、映画版『ドクスリ』はキュー版『シャイ』の続編という立場を取っている。前作で印象的だった数々のシーン…バスタブの女幽霊、ホテルの廊下に佇む双子、血しぶき溢れるエレベーター、雪降り積もる巨大迷路、亡霊バーテンと語らうバー等々といった要素はすべて取り入れられている。同時にキングマニアでホラーマニアの監督らしく、過去のキング作品にまつわる小ネタもあちこちに隠されており、映画と小説の両方で高い評価を得つつも“分離”した状態が長年続いていた『シャイニング』という作品の続編としては、ほぼ完璧に近い回答ではないかと思う。
ただこの作品最大の欠点は「ホラーではない」こと。恐怖演出は数々のホラー映画を手掛けてきた監督とは思えないほど凡庸な「心音ドックンドックンからのビックラかし」がひたすら繰り返されるばかり。そもそも物語の大筋からして「正義の超能力者が悪の超能力者軍団をやっつける」というものだし、前作の舞台オーバールック・ホテルの出し方も相当に強引だし、映画『シャイニング』のショッキング・シーンを大サービスで盛り込みまくったせいで本作独自のビジュアル感がまったく感じられないし…。原作、映画への目配せが過剰過ぎて滑ってしまった感は否めない。嫌いにはなれないが、特に面白くもない続編でした。やっぱ原作者がブチ切れるくらいの映画のほうが…。