インフルエンザでしばらく休んでいた同僚(隣の席)が病気を押して出勤してきたので「おいおいおいおい~~! 完治してないのに来ちゃったんか~~い(笑) おれ個人に向けてのバイオテロか~い(笑)」みたいな感情を表に出さないようにするのに苦労した。その一方で、こいつのせいでインフル伝染されたら1週間くらい休めるなあ。でも病気になってまで仕事休みたいとか本気で考えてるとしたら、それは社会人として、人間としてどうなの? という思いに囚われ三日三晩悩み続け、知恵熱を出して死んだという。
「コミック・ノストラダムス」という、どういう勝算で企画されたのかよくわからない漫画雑誌の看板連載。「1999年、恐怖の大王が降ってくる」の予言で有名なノストラダムスの伝記漫画である。原作は小池一夫。作中には日本でもっとも有名、かつもっとも信用できないノストラダムス研究家である五島勉も小池せンせと共に登場する。やまさき拓味先生描くところのノストラダムスは丸顔、黒髪短髪、つぶらな瞳の童顔で、ぱっと見の印象はいなかっぺ大将に近い。世間一般のイメージとの乖離は『モンスト』で登場した釘宮理恵ボイスの金髪幼女ノストラダムスに勝るとも劣らない。
序盤はノストラダムスの生い立ちがわりと丁寧に描かれている。ペスト医師としての活躍に加え、愛する妻と子を失うことを未来予知の力で知ってしまったことへの苦悩、そこからスケールの大きな「愛」に目覚めるまでの過程は読みごたえがある。ノストラダムスをあえて朴訥な田舎青年のように描くことで、彼もまた悩める1人の人間であることが強調されており、こういうノストラダムス像も悪くないなと思わせる。
が、小池せンせと五島勉が登場し、「諸世紀」の解釈をしはじめる3巻の途中辺りから雰囲気が怪しくなってくる。例の1999年恐怖の大王だのグランドクロスだの、今となっては大ハズレであることがわかっている予言について大真面目に語っているのはまあ仕方ないとしても、「サタンロケット!? なんでそんな不吉な名前を付けるンですかッ! サタンの陰謀ですか!」とかのたまっている部分は失笑モノ。サタンとサターンは語源も含めて全然違うって! アンリ2世の死を予言したという有名なエピソードの際も、なぜかサイボーグの馬にサイボーグの騎士が乗るビジョンが唐突に出てくる。その後もモノホンの悪魔が出て来たり、ノストラダムスと妻とのセックスシーンがやたら挟み込まれたりと迷走が続く。
最終巻では、小池一夫劇画村塾の討論会の様子が描かれる。「なんでコミック・ノストラダムスは休刊したんですか?」だの「小池塾長とやまさき先生のコンビでも売れないなんてことあるんですか?」だの「ノストラダムスって古くないですか?」だの「愛伝説ってタイトル、クサくないですか?」だの塾生に言われ放題の小池せンせだが、「もっとノストラダムスの予言に人々の耳目を集めさせなければならない」「全部当たっている予言なンだッ」「この作品を書くのはボクの使命!」「それが神の大いなる意思!」「おまえたちも使命感を持ちなさいッ」と大演説をぶち始める。ここに来てようやく「あ、この人はマジなんだな」と思いました。以降はノストラダムスの死をさらっと描いた後、各国首脳が集ってのノストラダムス会議、エイズの流行によるパニック、救世主セザールを探す旅に出るニックとバート(誰だこいつら)のエピソードが語られ、「人類滅亡の跫死音(あしおと)はすぐそこまで来ている! 現在その跫死音がキミの耳元で囁きかけているンだぞッ!!」というメッセージで締められる。
後半は予言の恐ろしさにトチ狂った作者が暴走しっぱなしのアジテーション作品と化したが、まあいろんな意味で一読の価値はあると思います。あとノストラダムスが未来予知をする時に「ビビビビ~~ッ」という擬音とともに髪の毛が逆立つ演出も必見。